新しい年を迎え韓国文化院では1月中旬から本格的に本年度のイベントが始まりました。そして、昨年ご好評いただいた講演会シリーズも、今年は「韓国の魅力」をテーマに、各分野の専門家をお招きして今年の1月から11月までにかけて、月1回全11回で皆様にお届いたします。
その第1回目となる講演会が、1月26日(土)に韓国文化院ハンマダンホールで開催されました。第1回目にお迎えしたのは、1月16日から31日まで韓国文化院ギャラリーMIで「韓国を愛する巧写真展~7080過ぎ去った韓国の日常展」で、1970~80年代の数々の貴重な韓国の生活風景を撮り続けてきた写真家の藤本巧さんです。
「巧」という名前で気づかれた方もいらっしゃるかも知れませんが、藤本さんのお父様は浅川巧が韓半島で残した功績に大きく感銘されご子息の名前に「巧」と名付け、そのご子息も浅川巧のように韓国を愛し、韓国を撮り続けてきた写真家として活動し、撮り続けてきた全フィルムを韓国政府に寄贈、2011年には韓国文化体育観光部長官賞を受賞するという功績を残しました。
藤本さんは、「柳宗悦 河井寛次郎 濱田庄司が歩いた道 韓国をふたたび歩く」と題した講演で最初に、ご自分が韓国で写真を撮ることになった動機が、柳宗悦が民芸運動の啓蒙のために世に出した雑誌「工藝」に掲載されていた紀行文「朝鮮の旅」(1936年、柳宗悦 河井寛次郎 濱田庄司 共同執筆)に感銘を受け、中でも牛市場の写真に惹かれ、いつかは自分もこのような写真を撮ってみたいと思うようになったと言います。そして、1970年にその紀行文の足跡を辿るために韓国に渡り、写真を撮り始めることになります。
講演会では、1936年当時の紀行文の文章に合わせ、1970年に藤本さんが撮った写真を紹介するスライドを制作してスクリーンで披露。1936年当時の紀行文が、1970年に撮った写真でも全然通じるほど、同じような風景がまだ韓国に残っていることに藤本さんは感動したと言います。その後、実際に1936年に「工藝」誌で紹介された写真と1970年に藤本さんが撮った写真も見比べましたが、驚くぐらいに変わっていないようなところもあり、藤本さんはその韓国の生活も含めた美しさを次から次へと写真を撮ります。
また、河井寛次郎さんの肉声による貴重なインタビュー録音も紹介しながら、通度寺の建築美についても紹介。1911年頃の写真、1970年と2011年に藤本さんが撮った写真を比較、検証しながらその移り変わりについても詳しく紹介してくださいました。
藤本先生は、韓国で撮った貴重な写真の全フィルムを韓国政府に寄贈、国立民俗博物館で所蔵されることになりますが、その国立民俗博物館で昨年その写真の展示会「7080過ぎ去った我が日常」を開きました。その展示をきっかけに1970年に写真を撮った場所が現在はどうなっているかについて検証を行った内容についても写真を見比べながら詳しく説明し、この40年間で韓国がどれだけ変わったのかを視覚的に改めて感じることができました。
そのような藤本さんが韓国で写真を撮りながら時々虚しくなる時があったと言います。それは現地で韓国の方々から「そんな写真撮って何になるんだ。あなたは外国人だから興味を持っているかもしれないが、私たちにとっては何の価値もない」と言われた時です。しかし、藤本さんはこう語ります。「今の韓国人が40年前の写真を見ると新鮮に感じ、新たな視線で見つめる。40年経つと誰でも私と同じ旅人になるんです」。そう語りながら、藤本さんはこれからも今のためというよりは、40年後、50年後の旅人のために今後も写真を撮り続けたいと語りながら講演を終えました。
さて、本講演会シリーズ第2回目は2月15日(金)19:00からハンマダンホールで開催予定です。毎日新聞の編集委員で前ソウル支局長を務められた大澤文護さんをお迎えし、「記者はなぜ踊ったのか~私が体験した韓国文化の魅力とその秘密」と題してお話いただきます。現在韓国文化院の
ホームページ応募コーナーからお申し込みを受け付けていますので是非ご応募ください!
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